昭和51年03月23日 春季霊祭



 長時間に渡ってお祭りを頂きました。いよいよおかげを頂きたいのでございますから、ひとつ一修行またさせて頂きたい。私も昨夜から一睡もしとりません。今日の御霊様の、今日はもう心置きなく、今日のお祭りを受けられる事の為の準備をさせて頂きます。今日お食事を朝の食事を終わりましてから、しばらく休ませて頂こうと思うたらすぐ人がみえる。次々とみえる。とうとうあの一眠りもする事が今日は出けませんでしたけれども。ところが有り難いです。
 神様は修行を求めたもう時には、ずおかげを下さるからです。神様が修行を求めたもう時にはもう必ずその後に、はぁこれが力かなと思うようなものが、心の中に感じられるからです。もう金光様の御信心を頂いたら、修行を厭うてはもう金光様の信心は成り立ちません。だからその修行が、ら苦しい事ではなくて、楽しいもの有り難いものになって来なきゃならんです。これはもう何の稽古でもそうです。稽古をさせて頂いてその稽古が身について参りましたら、その修行がどんなに厳しかっても楽しいものです。
 ところが信心の稽古をしようとか、お徳を受けんならん力を受けんならんという事ではなくて、ただおかげさえ頂きゃ良いという事になりますと、もう本当もういいかげんに先生は話止めりゃよかとこでという事になって来るです。もう本当に修行は嫌々という事になって来るのです。もう修行は絶対信心につき物。これはもう信心だけじゃないですけれども、信心に修行はつき物。その修行に力がつくのです。徳が受けられる。その辛抱こそ、身に徳を受ける修行と仰せられるのですから。
 だから本当に身に徳が受けられる修行でなからなければ、それが修行になりません。はぁどうしてこげな難儀な目に会わんならんだろうか。どうしてこんなに私だけが苦しい思うをしなければならんだろうかと言うたら、よしおかげは受けても徳にはなりません。その辛抱こそというのは、信心辛抱こそ身に徳を受ける修行という事なんですから。私は今日皆さんが、あの御霊様のお祭りが済んで玉串を次々と上げられます。真面目に今度ここから学院に五人の修行生が参ります。
 その修行生の一人であります、戎浦さんが家族の方達と共に、ここで玉串を上げました。和子さんば見た途端に感動するんです。どういう事だろうかと私は思うた。それからまたひと遷しまして、今度はあの今村さんの家族があげて、今村和子さんもまた来年今年行くんです学院に。いわゆる学院に今度行く人達がここで玉串を上げる度に、感動がどんどん、それこそ前におったらおかしいぐらいに感動するんです。
 何での感動だろうかと、私は思わせて頂いた。それはね、ははぁこれだなという事なんです。というのは、これはあの仏教でもそうだそうですがね。家の中から一人出家を致します、お坊さんになりますとね、七代向こうの先祖が助かると言われておるです。うそれだけで。というほどしにですね、自分の身をもう仏に捧げるというか。自分の身をまだあの若い身空でです。皆んながね、金光大神に捧げる。
 そして、難儀な氏子の取次ぎ助けられる事の為の稽古をさせて頂くというのですから、なるほど、あの異常なまでの感動は、あれは私の感動ではない、神様の感動と言うても良いかも知れん。それこそまぁ七代向こうの先祖様達がです、もうそれこそ喜びの涙を流して喜んでおられるという事を感じました。素晴らしい事ですね。そこで例えばそんならです、学院に行く人達が先生ではありません。学院に行く人達が取り次ぎ者じゃありません。今教団では、もう全信奉者が全取次ぎ者という風に言われます。
 この頃あれは十三日会、総会の時でしたかね。久留米の佐田さんが発表しておられました。主人が在家出家、在家出家ですかね。いわゆる坊さんではないけれども、坊さんと同じ働きをするおかげを頂くなら、私は誘発の尼としていよいよ合楽示現活動に参画させて頂こうという表明をなさいましたですね。それなんです。皆さんもです、女の方は結局誘発の尼。男の方達はもう在家出家です。商売をしならが百姓をしながら。
 そこに難儀な人達が沢山おる、その難儀な人達を取り次ぎ助けて行くところのはたらきを現して行こうというのです。そこでです、そんならば私自身が先ずは助かっておらなければならない。私自身がおかげを引っ下げてのもんでなからなければです、おかげになりません。だから私自身が助からなけりゃ。心の上に有り難いものが湧いておる。心の中に、言うなら信心の稽古をさせて頂く事が有り難うして、楽しゅうてという人達の、もう人相は違うです。もうお参りがもう嬉々としておる。
 本当にそういう難儀な中に喜びが湧くですかと問いたいぐらいに、素晴らしい生き生きとした表情で信心の稽古を致しております。または、それがですなら次のおかげに、形の上のおかげに繋がらないはずもないですから、こういうかくおかげが受けられるという実証を示しながら。そして人が助かる事のための誘発の尼であり、在家出家でなからなければならんという事であります。皆さんがこうして私のお話を聞いて下さる。皆さんぐらいの事ではありません。今日ここに例えば集まっておる御霊様はどれほどある、数があるやら分かりません。
 その御霊達がね、もう助かりたいの一心で、もうそれこそ聞き耳を立ててお話を頂いております。私がそげん言うとしらごつのごたる風に思う人があるかも知れません。もうそれこそね、見て来たように地獄極楽を説く咄家じゃないですけれども、私も死んだ事がないから分からんです。分からんけれどもです、成程そうだろうと思わなければおられない実証が、いつの場合でもあるという事です。今朝から皆さんにお話をした事でした。昨日研修松栄会の方達が、この内殿のお掃除にやって参りました。
 ちょうどここで研修があっておりましたから、その研修を一時間ばかり一緒に頂いて、そしてまぁ御用にかかった訳でございますけれども。田主丸の石井信司君と麻生さんが見えておりました。それで私はその私がお話、今その時実感しておった事は、ちょうどここんところを、あの誰かが片付けてその昔の第一号のおかげの泉と、30号と37号というおかげの泉がその置いてあった。ちょっと開かせて頂いたら、ちょうど昨日は朝私が皆さんに聞いて頂いた。
 いわゆる雨が降るから風が吹くから偉いと思うてはならぬ、その辛抱こそ身に徳を受ける修行じゃという、その御理解がまた新たな角度から色々と説いてございました。読み出しましたら、もう切りがない。三冊をもうぶっ続けに読んでしましました。おかげの泉っちゃ有り難いなぁ、皆がこれでおかげを頂くはずだと私は思います。そこでですもうこんな厚いのが、3冊私の手元にもう出けております。
 それで私が石井信司君にです、あのアンタんとこはおかげの泉みんな綴って、どうかしとんの、どげんしとるのち私が聞きましたら、それが貴方毎月頂きよりますばってん、読んだならもうバラバラなっとるとこう。それじゃあいかんばい。これは言うならば合楽のバイブルだ聖書なんだ。経文と同じなんだ。私がいかにも話したごとあるけれども、私がお話をしたのは、必ず神の叡知による話ばっかりなんだ。
 だから大事にしなければいけないよ、大黒様の前にお茶やら水をお供えするよりも、このおかげの泉をお供えしておいて。もう一つ玉串あんを作りなさい。そうしてあのそれをお供えしなさい。私はその事を信司さんに言うてから、すぐもう4時の御祈念でしたから、4時の御祈念に入りました。そしたらね、大黒様の前にこのお茶か水か知らんけどお供えしてあるとば下げて、そしておかげの泉をお供えして、上からふくさをかけてあるところを頂いたです。かえておるところを。
 ははぁ大黒様は、もういよいよ持ってね、お茶やら水よりも、言うならおかげの泉の方が喜びなさるんだという事。おかげの泉という事はどういう事かと言うとです、教えなんです。その教えを丁重に、大切にして頂いておるという事なんです。だから私は今朝から皆さんにね、お茶やら水やらもいらんけん、もう今日から早速おかげの泉をバラバラになっとんなら整理をして。したら今朝からね何人かの方がもう、とくにあの久富勇さんなんかは、もう涙ボロボロ流しなさいますもん。
 先生私がおかげ頂っきらんはずですち。本当におかげの泉読む事は読みよるけれど、頂きよる事は頂きよる、大事なモンだという事は分かっておりながら、纒てもおらなければお供えもしてない。その事をです。あの気付かせて頂いて今日は足りないところは、またここに、あの纏めたのがありますからあれを纒させて頂いて、今日からは大黒様の前にお供えさせて頂きますという訳なんです。
 それで私はこれは断言します。だからそういうそのくらいに丁重にするならばです、もう絶対私は今日、波田野もそんなお届けがありまして波多野さんに言いました。お宅の嫁子やら息子達がまだ信心はない。まぁお母さんが熱心だからついて参って来る事は来るけれども。けれどもあの人達もなにか迷うたり、困ったりした時がある時に、あのほら大黒様の前にお供えしてある、あのおかげの泉を一遍アンタが一つ、神ながらにお願いして開いてごらんて。
 アンタの心の中の答えが出て来るよと。必ず頂けるんです。そういう言うならば大切な物ですから、その大切な物をね大事にしなかって、おかげ頂けるはずはありません。神様をお粗末にする人はおかげが頂けるはずはありません。本当に神様を丁重に神様を有り難く頂かせて頂くならば、何と言うても神様の御働きそのものを大切にしなければ、神様を大切にしとるという事にはならんのです。
 神様の心と言われるところの御教えをです、お粗末にしておかげの頂けるはずはないという事です。ですからね、そのおかげの泉をその私どもが助かるだけではなくてです。なら御霊様にも聞いてもらう、御霊様にも読んでもらう。御霊様が助かるんです。そのまぁ一つの実証のようなお話があります。今、今っていうかもうここ二年になりましょうか。福岡の川上さんのところの奥さんが、もう二十数年前におかげを受けられた。13年ぶりに私が福岡へお話に、あの時分は私が行っておりましたからね。
 やらせて頂いたところに丁度川上さんがちょうど初めて見えておられる。そして私どもはもう子供諦めとる、13年も出来んでそげな事がありますもんか、それは神様にお願いをしなければねと。と言うてお願いをさせて頂いたその月から、月のモノが止まりました。十三年目に出けましたまた明くる年でけました。これこそもう今二人とも大学ですが、本当に神様にいわゆるその出来合いじゃない、あそこんとはう誂えたっじゃん。だから本当にやっぱ誂えたっじゃろうち言ううごと素晴らしい二人の息子が。
 今親子四人でもう熱心に参って見えられますがです、そういうおかげを頂きながらもです、金光様を忘れてはおらんけれども、十何年間はまぁ参りはする。大祭やら月ごとの時には参って来よったけれどもです。本当に信心の稽古をしようという事はしなかったけれども。自分がリュウマチという、まぁ不治病と言われるような病気にかかられて、親戚の親切なお医者さんがおられますから、そこで一生懸命治療をして頂いたですけれども、一向治らない。
 そこでこれはもう医者も薬も、これはまぁ見離されたと同じようなもんだから、神様にお縋りしよう、あの13年ぶりに子供が与えて下さる程しの神様だから。自分のこの体の事もお願いさせて頂いて、おかげを頂こうというところからもう2年前です。それから日参が始った。福岡からの日参ですから大変な事です。先日から御主人のお父さんという方が、鹿児島におられました。この方はもう随分元気で、もう子供の世話にどんならんというような頑固な方だったらしいです。
 それであちらで、それもまぁ後よのお母さんが見えておられる。そんな色んな関係もあったでしょう。そこであのうまぁ別々の生活をなさっておられたんですけれども、この頃から、具合が悪いという事でお出でられました。そして初めて金光様のお話をしたり、それから御神米を頂かせたり。そしたら変喜ばれた。今まで神様の「か」の字も言うた事ない、話聞こうともなさらなかったお父さんが聞かれる。そしてまた来てくれと言われるからまた行かれた。そん時も大変喜ばれた。
 それから何日かされたらその亡くなられたという通知が来た。それで御夫婦で勿論あちらへあちらでお葬式はなさいましたけれども、お遺骨はこちらへ持って来て。五十日祭が終わったら、ここのこちらに一緒に奉碑して頂きたいという事でございますけれども。それこそ毎日毎日のお参りその上に、その父親に対するところの御霊様に対するところの、一心の真心と言うか、もう嫁として本当に生前は、言うならば嫁としての大した勤めも出来てなかったことをお詫びすると共に、御霊様を大事にされて。
 十日十日のお祭りをそれこそ丁重になさる。毎日毎日お参りをして来て、おじいちゃん今日はこういう御理解を頂いて参りましたよ、と言うてお話をなさる御霊様に。そすとね神様の方から、もう度々においさみがあるそうです。今日は私がね、私どもだけではない。その合楽に関わり合いのあるその御霊達がです、助かりたいのです。その一心を持ってですね、言うならば耳を欹てて嫁が帰って来るのを待っておる。嫁が話してくれる言うならばお話をです、心洗うような思いで頂いておるという事が、まぁ合点が行く。
 それでも駄目なら仕様はなか。それはもう本当に、今あの皆さんのお宅でも同じ事ですが、神様が生き生きとして見えてる。おいさみが非常に激しくなった。大祓い信行が始ってこの方、もう本当に今まで栄養失調になってござったごたる神様が、そのもう無条件の真心無条件の真。ただ金光様の信心を頂いておる、それはもう当然の事として当たり前な事として。今までは願う時だけ、お礼を言う時だけが拝みよったとじゃったけれども、それは十巻も二十巻もお願いせにゃん時は大祓いも挙げよったけれども。
 それには条件があった。ところが大祓い信行が始ってこの方、もう無条件でそれこそ親川上さん所なんか親子四人で挙げられる。毎日毎日それが楽しい。もうそれこそ今まで栄養失調になってござった神様が、その神様が生き生きとして来なさるという事はね、氏子の真心と仰るです。氏子の真心がいくらお神酒をお供えしたっちゃ、ぼた餅をお供えしたっちゃです元気づきゃしなさらんです。氏子の真心です。その真心でお神酒がお供えるだけ、その真心でぼた餅のお供えがいよいよ有り難い事になって来るです。
 だからその、無条件の真心で大祓い信行が十巻、またとにかく神様の前が立つごつなかごつ有り難うなって来る。それで又たまには二十巻というようにです、だんだんその大祓い信行の徹底が出けて来よるところへ、合楽の言うなら別れてござる神様が、もう生き生きとして見えられたという事実です。しかも私共神様が、生き生きと助かって来なさるだけではなくて、私共も助かるだけではない、その御霊様までが、その大祓い信行の余波を受けられて。言うなら嫁が毎日お参りをして帰って来る。
 お話をそれこそ待ち望んで、それを聞こうとしておるという事は、助かろうとしておるという事であります。だからおかげの泉ちゅうのは、私が月一月の内たった一日分をあれには収録しておる。だから皆さんお日参りなんかする人は、30日ずうっと頂きよるはずとこういう訳なんです。だからその言うならば、もうほんなエキスのところ触りのところだけでも良いから、帰って御霊様にお話をしてあげにゃいかんです。買って行っとんならそれを読んで差し上げなきゃいけんです。
 これはもう祖先賛詞よりも、絶対効くです間違いないです。私共が助かりたい。やっぱり御霊様も助かりたい。喜びの御霊として、安心の御霊としておかげを頂きたい。私共もねその喜びのおかげを頂きたい、安心のおかげが頂きたいというような、おかげを目指しての信心なら素晴らしいですけれども、ただ目先目先の事。これはもう御霊様にもだから劣る事になる。私共でも同じですけども、助かりたいという人は、もうもう世界中の皆んなが本当に幸福になりたいと願わん者は一人もありません。
 けれどもね、手係りがなからなければ出来んです。まちっと言うならば、先日から若妻の婦人会の方達の会合が雑餉教会であったです。こっからも二人参りました。帰ってからまぁ立派なお教会で、大変有り難いお話を頂いたけども、どうも分からん話だったっち。先生その質問をした。お導きをさせて頂くという事。いわゆる合楽示現活動ですね。示現活動をさせて頂くにはと言うて色々質問したところが、あちらの先生が仰った。
 お導きをしてね参って来んヤツは神様が好きなさらんとじゃけん、もう放からかしときなさいち言われた。私はそれを聞いてから、本当にごひれいを受けられる先生は違うと思うたです。確かにそうです。終日はぁお導きなさいお導きなさい。参らんち言うてでん、こう強引に引っ張って来たっちゃ助かりゃせんです。やはりです、どこに神様が目をつけてござるか、どこに神様が好きな氏子がおるか、世の中には沢山あるはずです。それこそ、この氏子はというような氏子が確かにあるです。
 それこそ大坪総一郎んごたるあっちこっちも沢山おるとですよきっと。それを例えば探し出しきらんなら、おるとですからね。そういう人に例えばお導きでもさせて頂くとです、いわゆる有り難い信心になって行く。神様から参って来んとはアンタ、好かん好かれとらんとじゃけん。そげんとは参って来んでよかち仰った。私は本当におかげを受けた先生の話は違うと思うた。と言うて私も今朝から皆さんに聞いて頂いたお話の中に、夕べから色々考えた。私はどうしてこんなに幸せになって来たのだろうか。
 どうしてこんな私ぐらいな者のところに人が助かるようになって来たんだろうか。どうしてこういう有り難い安心の心が開けて来る、喜びがそれこそ下から何かちょっとこう、触っただけで喜びがパッと出て来るようなおかげを頂いたんだろうか。何ぁにも考えてみると取り柄もないのです。その事をしきりに考えた。そしたら神様から孝の字を頂いた。孝行の孝という字を頂いた。あの親孝行の行という字です。はぁあそう言われて見るとです、私はもう物心のつく頃から、母が特に難儀を致しておりましたから。
 この母どもあの苦労あの年とってから苦労させちゃならん。この本当にこの親は本当に喜んで貰おうおかげを頂かにゃならんと。もう物心がつく頃からそれを思いだしたんです。もうしかもあの私のはね、誰ぁれでも親不孝しようと思う者んなそげんおらんけれどもね、親孝行をもうしゆうごつして堪らんというのはばさらかおらんです。世の中にはその親孝行を、本当にしゆうごつして堪らんと言う様な親孝行の人もありますよ。だからそういう人達がです一度金光様の御信心を頂く事になったらおかげを頂くのです。
 親孝行が出来ず、先祖を大事にする事も出けない人は、お道の信心を頂いても大した事はないです。その例え親孝行がです。私はもうならあの小学校を出るとすぐ酒屋の小僧に参りました。その酒屋の小僧時代7年間でしたけれども、毎朝久留米でしたから、久留米の荘島から櫛原の教会に毎朝日参しました。最後には近所の向かえの鉄工所の弟子さん、向かえのぶりき屋さんの弟子さん、八百屋の息子床屋の息子というごたるとが、14~15人ぐらいついて来よりました、朝の御祈念に。
 もう店は7時からですから、5時からお参りをするんですね。それがどういう事かと言うとね、本当に親に孝行したい一念でした。だから私が立派にならなきゃならない、私が立派な商人にならなきゃならない。その為に人が一つする時には二つの勉強をしました。また本当に自分の身を犠牲に、本当にこういう事が犠牲だろうと思うような、犠牲もいといませんでした。私のあの番頭時代は、今ここにお参りになる、久留米の矢次さんが一番御存知です。
 あちらは東判光屋、私は荘島の判光屋という酒屋さんでしたから。番頭さん友達です。私が毎日日参しよる時分な、旗崎教会の今の親先生があちらで修行中でした。今でも言われる、アンタが初めこまかった男が、酒屋参りして来てから参って来るが、どこんヤツじゃかち思いよったら、アンタじゃったけんなち言ってから言われますぐらいに、目につかれるくらいに一生懸命信心しました。それもね親に孝行したい一心でした。北京辺りまでもまいりましたのもやっぱそうでした。
 ところがなかなか問屋はそう下ろしてくれません。本当に裸一環で家族中の者が親の元に引き揚げて帰って来た。帰っていよいよ親に難儀苦労、心配をかけなければならないような事になったところから、私の信心が実は本当な事になって来たように思います。今までの信心ではいけなかった。そこでんなら真とは、真の信心とはという事を一生懸命信心させて頂くようになったらです。もうそれこそ私が世界中で一番大切と言うなら親でしょうけれども、その親よりももっと大切な親がある事が分かって来たです。
 それは親教会でした親先生でした。もう本当に一生懸命でした。だんだん信心を進めさせて頂いておりましたら、もっと上に親がある事が分かるようになりました。御本部いやそれよりも天地金乃神様という親神様がです。だからその親神様に対して、どうぞ一番の親孝行者忠義者にお取立て頂きたい、と言う様な心願を持つようになりました。その時分から大変な修行が始るようになりました。もうそれこそ親先生が毎月、御本部へ月参りをなさいます。私も月参りをさせて頂きます。
 もう今月という今月はもうチリンどん言わん。それでも私はもう絶対参り続けました。親教会の御大祭には必ず御大祭前に、私は祭典費というものをお供えしました。そして大祭にはまたお供えをさせて頂きました。ところがここに不思議な事が次々と起きて来るのです。もうもう言うならばチリンどん言わんというごたる中にあっても、御本部参拝だけは出けたという事です。親教会の御大祭の祭典費だけは、もうキッチリ願っただけ出けた事です。もう本当にもう売る物がない何もない。
 もう私の妹なんかは、もう自分のモンな売りつくして、亡くなった主人の形見まで売ってくれました、私の御本部参拝の時には。もうそういう物も亡くなる。それでもやはりその一念は変えませんでした。今日もお参りしておられますが、久富正義さんの姉さんで、小郡で今お商売をしておられます。しげるさんという方。ある御本部団体参拝の時でした。私が教会の御用をみんなさせて頂いて、あのちょうめんでして参る方達です。そして久大線で行かんならんとです。
 私のまぁファンのお爺さんが、山口さんちゅう人がおりました。私がもうちゃんと用意してから、あの雑のうかろうちからね、昔はあんな出で立ちで御本部参拝しましたから。それで御用しよるもんじゃけん、はぁ大坪さんおかげ頂いたばいの。私がこうないとを知っちゃるとです。で私がもうそれで用意して来とるもんだからそう言われる。いんにゃまだおかげ。これはいつも御祈念しとても本当、アンタばっかりは了見に及ばんと言いよります。いや私は駅まではつんのうて行くと私が言う。
 もういよいよ出けん時にゃ歩いてでん行くという腹ですから。そしたらそれを前で聞いておったのが久富さん、その当時の久富しげるさんです。いや大坪さん実は私は御本部参拝させて頂こうと思うとったけれども、急にお参りが出けんごつなったから、貴方が代わりに参って下さいと言うて旅費を納めて下さった。ある時には片道片道だけで参りました。帰る時にはちゃんとおかげを頂きました。ある時には博多の駅まで金なしに行きました。そこに今の信徒会長がちゃんと待っておりました。
 ちょいと条件に及ばん。もう神様っちゅうお方はね、神様が喜んで下さるという事。なら御本部参拝とかね御大祭という事だけには、このようにも一分一厘間違いのないような働きを見せて下さる神様であるから、私の生活の全部が神様のお喜び頂けるような在り方にならせて頂けば、一切がこのように間違いなくおかげが頂けれるんだという確信が、もうそれこそモリモリと出来て参りました。暇が出けたらお金があるなら参ろう。今年は今月は御無礼しよう。そげな事っちゃないです。
 何故って信心とはその神様を信じて止まない疑わないというね。その信ずる心信心とは。その信ずる心を頂きたいのです。だから御大祭の事御本部参拝の事だけは、神様は聞いて下さるけれども、私個人の事を聞いて下さらんのは、こちらがまぁだ神様に本当にお喜びを頂けれる、自分になっていないからだと言う所から、本気で改まりもする本気で磨きもすると言う様な。だから私はその時分に皆さんに言うとる。私がおかげ頂かな絶対ないて。もう確信持って人に話しよりました。
 また皆んな私の信心を知っておられる方は、大坪さんアンタがおかげ頂かんなら、頂く者はなかですばい。アンタがおかげを頂かんなら、教祖様が仰っておるとは、あれはしらごつばいて言うくらいに確信を持って、私はあのその修行時代を、それこそどうしてこんな難儀なって。そういう風に身について行く、体験がもう楽しゅうて楽しゅうして、有り難うして有り難うしてこたえじゃったです。雨が降るから、風が吹くとこたえのうなさるとですから。
 先ほど川上さんのお話をさせて頂いて、私が毎朝皆さんに聞いて頂くお話を、ノートして帰ったのを、また帰って御霊様にそれをお話をして差し上げられる。そうするともうそれこそ、もうおいさみがバチバチある。だから御霊様も待ち望んでござるならば、自分もお話をする事が楽しゅうして堪えん。十日祭がそれこそお爺さんの、まぁ好きなものであっただろう甘な辛なを揃えて、十日祭がここでありました。そん時に私が頂きました事はね、もうここの股どんところに、もうこんなに腫れモンが出けてるんです。
 その腫れモンをね、こうじぃっとこうこう押しよる。そしたら中からね、もうウミがドクドク出てね。そのウミを押し出してもらった人が、はぁこれでホッカリしたというような姿を見せました。決して御霊様がカサが出けてござるという意味じゃなかろうけれども。例えばもう今までは動きも出けなかったような、言うならそういう人がです、ホッカリしたというようなおかげを受けるという意味なんです。二十日祭にはビスケットのね、美味しそうなビスケットにチョコレートをかけて、牛乳を一本沿えて頂いた。
 今まではもうそれこそ湯水も喉に通らんと言う様な助かり状態であったものがです、もう軽うにビスケットぐらいなら頂けれる、牛乳ぐらいなら飲んでもよいというくらいに、おかげを頂きました。三十日祭にはね、あの素直の直という字ですね、素直の直という字。その直という字が、こうこのひったけがもうこの辺から持って来た、こうような感じの直という字を頂いたんです。ははぁ今まではそれこそ、生前は神様のかの字も言わん話なんか聞こうともしなかった人がです。
 段々言うならホッカリした。嫁御のおかげで本当に言うならば、水も湯も通らないほどしの自分が、ビスケットぐらいは牛乳ぐらい頂けるくらいになって来た。これはいよいよ素直に自分が助かる事の為に精進しなければならないぞと気付きだした。私はその直という字を頂いた時に非常に感動したんです。はぁこんなに御霊様が素直にね、嫁の語ってくれる話を聞くんです。こんなに真心をです素直に受けてくれるんです。私が四十日祭、後もう何日かで四十日祭ですがね。
 四十日祭には恐らくこの直という字に点が一つ増えるだろう。五十日祭にはいよいよもう一つの点が増えるだろう。言うならばね真という字になるでしょう。はぁ私共も真の道に出らなければいつまで信心は信心は伸びません。言うならば御霊様がです真の道を五十日祭を終わって、御霊様の言うならば世界にいよいよ入られる時には、嫁の信心息子の信心によって助かって行く手懸りがでけて来た。問題は手掛かりが大事なんです。もうそれこそ沢山な御霊が手懸りもなしに、助かりたいという一念は山々ですけれども。
 まぁこれを分かりやすく言うならばね、地獄の苦しみをしとる御霊達が、助かりたい、助かりたいとは一生懸命もがいておりますけれども、手懸りがない。そこにです例えば嫁が信心しておってくれておった、息子が孫達が信心しておってくれておった。特に嫁が日々の御教えでも、こうやって頂かせてくれるほどしの熱心な信心を頂いておった。その嫁の信心に手懸りを得て、十日、二十日、三十日祭と段々自分の救われ、助かって行く姿を、そのような風にして現して見せる。
 四十日祭にはこの点がもう一つ増えるだろう。五十日祭にはまた一つの点が増えるだろう。いよいよ御霊の仲間入りが出けるという時に、真の道に出ておったこれからは、真の道をいよいよ歩かせて頂けば、いよいよ助かる事が出けるぞという希望が、御霊ながらも持てる事になるのです。これは御霊もね私共も同んなじ事です。助かりたいという思いはもういっぱいなんです。そこでです私は御霊様に習わせて頂くという事は、もう御霊には第一五感が無くなっております。
 目で見るところの幸せもなく。鼻で匂う幸せもない。舌で味わうもう幸せもない。聞く幸せもない。肌に触ってもろうてという幸せもない。これを五感という。私共にはこの五感がある。どういう苦しい時でも、面白いテレビどん見よったら、はぁ良かったって目の正月するです。そん時は幸せは感ずる。はぁいっぱいお御馳走食べる時には、舌で味おうて、もう本当に幸せを感ずる。ところが見ておる時だけ、食べておる時だけではいけないでしょう。その五感も助からなければなりませんけれども。
 それよりももっともっと一つの六感目であるところの心が助からなければいけんのです。魂の世界に入ったその御霊はです、もうその魂の清まる事だけに専念するから、言うなら精進が早いです。言うなら仏教的に言うなら、本当に成仏を目指せ。お道の信心で言うならば、いよいよ生神を目指して、真の道を辿らせて頂く事でしょう。私共もやっぱりその真の道に出らなければ。その真の道に出たなら手がかりを持って、そのおかげを頂いて行かなければいけんのです。
 五感の幸せは言うならばそこに置いといて。それこそ楽はせんぞという気になって、楽はさせてもらうという頂き方。もう見せずにはおかん、食べさせずにゃおかん。今日はいっちょあれなっとん食べて、今日は刺身ばいっちょ食べようか。はぁ借金負い被っとってから、そげな事思いよるけんいつまっでんおかげは頂かん。もう自分から求めてから食べんぞというくらいな気にならせて頂いたらです、神様が与えずにはおかんという働きが始るです。これは見る事聞くこと一切がそうです。
 私共は芝居が好きです。だからそれこそ今の私なら、東京まで飛行機で歌舞伎どんに見げ行ったっちゃ、誰ぁれでんどう言う手はなかです。けれども自分から見ろうとは思わない。けれども先生どうぞと言うて、あの切符を持って来てくれる。はぁ自動車持って迎えに来て下さる。さぁ向こうでちゃんとお弁当まで用意がしてあると、いう時はもう今日は許されて観劇をしとる。いわゆるお芝居見をしておると思うから、もうその人が有り難いと思うよりか、もう大変数倍の有り難さなんです。
 だから非常にきついごとあるけども、一つ本気で楽はせんぞと言う様な気になって、させて頂くと言う様な」所からです。もういよいよ六感である所の心、心一つを磨いて行こう改めて行こう。いよいよ魂の清まりだけを願って行くという生き方にならせて行く時にです。真の道を踏んで行くのですから、真のおかげが必ず伴うて参ります。真の信心真の信心と言うても、真のおかげが実証的に現れていないなら、それはおかしいです。皆さん今日のお話を皆さんが聞いて下さった。まぁ足も痛かったろうばってん。
 しかし御霊様はまぁだそげなこっちゃない位に喜んでおられる。いよいよ親先生のお取次ぎを頂いて、金光大神の世界に縁を頂いておるのであるから。いよいよ金光大神の世界に住まわせて頂けれる程しのおかげを頂こうと、御霊も精進する事でしょう。私共もやはりこうして金光大神の世界に縁を頂いておるのですから。金光大神の世界に住まわせて頂けれる程しのおかげを頂きたい。金光大神の世界とはね、あれもおかげであった是もおかげであったと分かる様になるという事であります。
 一切が有り難く受けられるという事です。そげな事は困るという事はないという事です。そこに金光大神の世界があります。だからそういう世界を目指させてもらうという事です、金光様の御信心は。そこにですもうおかげの受けられない事は、先ず絶対ないというような間違いのないおかげ。だからそういうおかげを頂くという事の前提として、これだけは神様が喜んで下さると確信が出けたら、その神様が喜んで下さるという事にです、もう全身全霊をかけるのです。
 もう年に2回だけはもう夫婦で家族中で、必ず御本部参拝はさせて頂くんだと、まぁ決めてかかるんです。と御繰り合わせを頂くです。なるほどおかげを頂く。だからその事だけでおかげを頂いたじゃつまらん。こういう間違いない事ならば、神様がこういう働きを見せて下さるのだからという、神様を信じて疑わない心がいよいよ募って来る。ここで私が頂きましたようにです。これは私の上に起きて来る寸分間違いないおかげが頂けれる為には、私自身がもう全身全霊が。
 神様の機間に適う私になろうという精進を、いよいよして行かなければいけません。ただこの頑張り頑張り力というかね、頑張る力ばかりを作って行ったって駄目です。もう頑張らんでん、もう有り難う出来る修行にならなきゃいかんです。朝参りなさ朝参り。頑張る間は頑張っとる時だけは出来ますけれどもね。だからその内容が段々出来て来ると、朝早起きがもう有り難うして、楽しゅうして堪えんごつなって来るです。もう改まらにゃ馬鹿らしゅうなって来るです。
 はぁもう人から馬鹿んごと言われたっちゃ、じぃっと金光様金光様で、辛抱させて頂く事がもうとっても有り難いです。もうこの後にはどげなおかげ頂くじゃろうかち思うちから、楽しゅうなって来るです。だから赤面弁慶になって言う事もいらん、言うならばいわば一番始めに申しましたようにね、信心は修行がつき物。それは何の稽古でも同じであるように、少し体得が出来てくると、楽しゅうなって来るという事です。信心が楽しゅうなって来るような言うならばおかげ。
 そういう信心を目指して信心の稽古をさせて頂かなければいけません。今日は御霊様達と御一緒に。本当に私はあのう御霊様の事やら、目に見えない事ですから疑えば限りがありません。けれども本当に分かられるようになったら、とても大祭よりもとてもあの、ここの人達は向こうまでしたっちゃ足らんごと、実を言うたら集まって来にゃいけんとです。もう今日は皆さんが今度、あの玉串はもうバラバラじゃなくて、家族揃うてから家族単位で玉串上げられましたね。
 あぁいうおかげを頂かなければおられなくなって来るです。さぁ孫も来い子供も来いというようにです、そうせにゃおられなくなって来るです。修行御霊様の世界と言うても、それは私もまぁだ分かりません。分かりませんけれども、そのいよいよ色々な事で実証して下さる事によってです、私もただ信ずる他はないのですけれども。結局やはり私共が信心の徳を受けて、あの世にも持って行け、この世にも残しておけるようなおかげを頂かなきゃなりません。
 あの世にも持って行けるという事は、あの世で自分がそれだけの、言うならば有り難いいわゆる安心の御霊、喜びの御霊としておかげが頂けれるという事です。孫が例えば転んどるけんいっちょ起こしてやる事も出来なけりゃ、いくらどうぞいっちょお願いしますち言うたっちゃ、その御霊様が働きが出けるという事は絶対ありませんです。御霊様はただ私共がね、言うならば私共の命の素ですから。ただ大事にしなければならん、感謝の念を捧げなければならんという事であって。
 これは教祖様でも、初代の大変お徳を受けられた先生方の御霊様でもです、ただ自分が持って行っておられるお徳によって、喜びの御霊安心の御霊としておかげを頂いておられるだけであって。そんなら信者が願うけんと言うて働きかけられる事は絶対ないです。ようね御霊様にお願いするという、そういうこつはあるはずはないです。それこそ死んだ者ば舞台に連れて来て、さぁ踊れと言うとと同じ事です。そこで私共が信心させて頂いとる間に子供達にも孫達も可愛いならば、それに残してやっておけれる徳をね。
 頂いとかなければいけないという事。しかもその徳は自分があの世にも持って行けれる。あの世で例えばんなら言うなら、誘発の尼であったり。在家出家であるという、お取次ぎの御用でもさせて頂くぐらいになるのとです、あの世で子供達が感謝をする。感謝をするその感謝の真心をです、神様に金光大神にお取次ぎをしてあげられる様なね、例えばなら初代の先生方にも御霊様にでもです、お取次ぎをして下さるという事が出来る。ただあれがあげん願うけんこうしてやる、御霊が出ける筈は絶対ありませんよ。
 もう御霊様は、ただ遺族の後々の者がです、いよいよ感謝の念真心の念を送って差し上げるだけです。同時に助かってない先祖の御霊様にはです、何とか手懸りを作ってやって。手懸りを作ってやって、いわゆる金光大神の世界に住む事を進めてあげる。いわゆる示現活動をしてあげる以外にはありませんです。そして手懸りを負うところから、今日川上さんところの御霊の例を申しましたように。十日、十日助かって行く姿を、本当に目の当りに見るような気がする。
 四十日祭には五十日祭には、本当に真の道に出られるだろうと、思われるような働きを示せれるように、手懸りを作ってやる責任が、私共にはあるという事でございます。今日は御霊様の事を聞いて頂きましたけれども、御霊様だけが安心の御霊喜びの御霊という事ではありません。私共が本当言うたらね安心のおかげ。喜びの日常生活が出来る信心生活をさせて頂くという事がです有り難いのです。そこを願わなければいけんと思います。
   どうぞ。